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2009年 08月27日 木曜日

コンテンツとは何か? 第2回「情報=コンテンツ?」

 前回、コンテンツとする条件の1つに、「情報」であることを紹介した。しかし、この「情報」と言う表現も、また漠然とした抽象的なものだ。

 そもそも「情報」という単語は、「敵情を報(しら)せる」の意味で、軍事用語 renseignement(仏語)を訳すために当てられた、中国語にはない和製単語だそうだ。ちなみに中国語で情報は「信息」というそうだ。

 そんな「情報」という単語が、今では軍事用語の域を出て、さまざまなシーンで使われるようになった。そのせいで、より漠然と抽象的なものになってしまったのかもしれない。

 そこで再び、Wikipedia で「情報」について調べてみた。

 人の判断・意思を左右・決定させるすべての事象である。これは一定の文脈の中で意味を持つものを広く指す概念であり、言語、貨幣、法律、環境中の光や音、神経の発火やホルモンなどの生体シグナルを始め、あらゆるものを「情報」とみなすことができる。

引用 : Wikipedia

 なるほど、Wikipedia によると、この世の中のものすべてを情報と見なすことができるようだ。と言うことは、この世の中のすべてが、コンテンツになる条件のうち1つを含んでいることになる。

 なら、情報であることを、条件として上げる必要があるのだろうか? 「情報であること」に、もう少し何か意味がないと、あえて条件とする必要がないはずである。

 そこで再読。そして気づいたことが。

 「人の判断・意思を左右・決定させるすべての事象」という最初の一文。こんな重要なことを忘れるとは。

 この一文から分かるように、情報とは意識されて始めて情報となるようだ。ということは、本当は情報となりえるのに、意識されてないために情報となっていないものがあるということだ。

 そうなってくると、「ニュース」「小説」「映画」「テレビ番組」「歌」「ビデオゲーム」「マンガ」「アニメ」などを、コンテンツのすべてと考えてしまっているために、情報を情報として気づけず、結果、コンテンツであるものをコンテンツでないと思い込んでいる可能性はないだろうか。

 もしそうであれば、これは忌々しき事態である。

 コンテンツであるのに、コンテンツとして扱われず、無為に扱われている可能性があるということだ。下手をすると、価値あるコンテンツを捨てているかもしれない。

 私の会社には価値あるコンテンツはない、なんて思っている人もいそうだ。しかし、コンテンツの最初の要素「情報であること」は、「ない」と切り捨てるのではなく、意識するところから始めろと示しているとも言える。

 あなたの会社にも、意思されてない無尽蔵の情報の種が眠っているはずだ。その中から、価値あるコンテンツを見つけ出すことができれば、その益を得ることができる。意識を向けることで「無」が「情報」となり、「情報」が「コンテンツ」に、である。

 では、その意識の向け方として、4つの条件の2つ目になる「創作物であること」を、次回は考えてみたい。

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